藤岡幹大さん
- 2018/01/12
- 20:32
2018年 1月5日
一人の天才ギタリストがこの世を去った
そのギタリストの名前は藤岡幹大
36歳の若さだった
みんなから『先生』『藤岡さん』等と呼ばれ人柄の良さから国内外の多くの方から愛されていた
藤岡さんと言えば自分の中で笑顔が素敵な方でいつも楽しくギターを弾いている姿が光輝いていた
藤岡さんが亡くなったのを知ったのは1月9日
午後19時20分過ぎ
藤岡さん自身のTwitterから奥様が発信
正直信じられなかったし、信じたくなかった
だって広島公演の時元気にギター弾いていたじゃん
ガチャピンのライブで大村さん達と一緒にいたじゃん
メイト主催のライブにゲストとして呼ばれていたじゃん
大村さんのワンマンライブにも呼ばれていたじゃん
冗談にしてはタチが悪すぎるでしょ?
アカウント乗っ取られているの??
乗っ取ってる奴ふざけんなよ
自分以外の方のリプも同じような内容があった
次第にTwitterには藤岡さんの急死を告げる内容が次々と上げられていき自分の中で『本当なの?』と次第に受け入れようとしていた
がそれは無理なことで『これはひょっとして夢なんじゃないか?』と現実逃避をしようとしている自分がいた
BABYMETAL以外のライブでは雑賀泰行さんが定例として行っていた変拍子セッション
そちらに参加している藤岡さんの姿を見に何度か遊びに行かせてもらっていた
初めて行った変拍子セッションの時である
普通にバーカウンターに来てビールを飲みながらお客さんと楽しげに話している藤岡さんの姿がそこにはあった
それを見た僕はこう思った
この人は本当にあのソニスフィアのステージでギターを弾いていた人なのか??
ただの小さなおっちゃんにしか見えない...
あまりにもお客さんとの距離感が近くて思わず思ったことを今でも忘れられない
BABYMETALの時は真剣な表情をするときもあるが、セッションライブでは常にニコニコ笑いながらギターを弾いていた印象しか自分の中にはない

変拍子セッションのメンバーは全員MI JAPANの講師の方々で行われている
だからなのか
曲間の確認の時
藤岡さんのくだらない話が始まることが多々あった
その藤岡さんのくだらない話が始まるとみんな自然と笑顔になっていた

全員でゲラゲラ笑う時間はライブと同じくらいに楽しい時間だった
BABYMETALでの姿しか知らない人にはあまり想像できないかもしれないが、本当に腹を抱えて笑ってしまうような話ばかりだった
時には曲間に真面目な話もする時もあった

変拍子セッションの時にいつも藤岡さんは楽譜を見ながら毎回こう言っていた
えっ?何これ?こんなん難しくてできひんやん笑
その数分後
体をクネクネさせながら笑顔であっさり弾いてしまう藤岡さんの姿を見て毎回心の中で『藤岡さん!弾けてますやん笑』
と誰にも聞こえないつっこみをするのが毎回楽しみだった
変拍子セッションに遊びに行った時
毎回一緒に写真を撮らせていただきました
藤岡さん!写真お願いしてもいいですか?
あっ!いいですよ!
と言ってキツネサインをしてくれる藤岡さん



藤岡さん!肩抱いて写真撮らせてもらってもいいですか?
あっ!いいですよ!ただ背が小さいからな笑
と言って笑いながら応じてくれる藤岡さん


藤岡さん!みんなで写真撮りましょうよ!
おっ!撮りますか!
と言って輪に入ってくれる藤岡さん

時にはサインをお願いしたこともあった
その他にも他では聞けない色々な裏話も聞かせていただいた
もちろんBABYMETALの裏話も聞かせていただきました
その話を聞くたびに僕は思った
こんなにも愛情を持ってメンバーのことを想って弾いてくれているんだ
この人がいてくれて本当によかった
BABYMETALのライブの時
毎回僕はステージに向かってこう叫んでいた
ふっじおっかさーーん!
すると毎回手を振って応えてくれる藤岡さんがいた
藤岡さんに毎回言っていたこと
この前のライブで藤岡さんに向かって叫んだんですけど聞こえていましたか?
あっ!あの時の!バッチリ聞こえていましたよ!声デカイですね笑
藤岡さん!この間のライブ!もう最高でしたよ!
あっ!また叫んだんですけど聞こえていましたか?
あっ!やっぱり!いつもありがとうございます!
毎回ウザいことを聞いてしまい本当にすいませんでした
藤岡さんと僕の関係はギタリストとただのファン
友人でもなければ知人でもない
ましてや兄弟でもない
でも藤岡さんはいつも対等に話してくれた
偉大なギタリストである前に一人の『人』として素晴らしい方だった
ファンのことをちゃんと覚えてくれる藤岡さん
笑顔で楽しそうにギターを弾く藤岡さん
嫌な顔を一切せず写真に応じてくれる藤岡さん
嫌な顔を一切せずサインに応じてくれる藤岡さん
色々な裏話を聞かせてくれる藤岡さん
変拍子セッションの時にくだらない話をして笑わせてくれる藤岡さん
一人部屋でぼーっとしながら藤岡さんとの楽しかった時間を思い出していたら涙が止まらなかった
自分でも信じられないほど号泣をしていた
その時に改めて思った
僕は藤岡幹大とゆう人間のことが大好きだったんだ...と
変拍子セッションがあっても仕事の兼ね合いで行けない時も多々あった
今回行けなくてもまた次の機会でいいか
毎回そう思っていた
だが、今はもう叶わないこと
日々の日常とは当たり前のように見えて実は当たり前ではない
泣きながら僕はこう思った
会いたい人がいるのならなるべく時間を作って会いに行こう
話したい人がいるのなら積極的に話に行こう
一緒にお酒を飲みたい人がいるのならなるべく時間を作り飲みに誘おう
当たり前のようで普段できていないこと
それを実行していこう
と思ったが翌日
仕事をしている時も涙が流れてしまっていた
本当に自分は弱い人間だ
そんな時BOHさんや大村さん
Ledaさんや青山さん
前田さんに雑賀さん
そして横田さん
最後にTOKIさん
次々とブログに藤岡さんとの思い出や出来事
そして今後自分達ができること
想いは違えど誰一人として立ち止まることなく前を向いて進もうとしているのが分かった
ブログを読んでいる時
涙が止まらなかった
笑って生きていこう
そうこの時決めた
永六輔の言葉でこうゆう言葉がある
人は2度死ぬ
一度目は肉体の死
そこから先、まだその人は生きている
死んでも、誰かが自分のことを思ってくれている。
誰かが、自分のことを記憶に残している、時折語ってくれる。
これがある限りは、その人は生きている。
そして、この世界中で、誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなったとき、二度目の死を迎えて人は死ぬ
藤岡さん
僕の心の中で
あなたはずっと輝きながら生きています
短い間でしたが素晴らしい時間をありがとうございました
少しの間
天国でゆっくりと休まれてください
また笑いながら楽しそうにギターを弾く姿を見せてくださいね!
そしてもう一度二人で大笑いしましょう!

一人の天才ギタリストがこの世を去った
そのギタリストの名前は藤岡幹大
36歳の若さだった
みんなから『先生』『藤岡さん』等と呼ばれ人柄の良さから国内外の多くの方から愛されていた
藤岡さんと言えば自分の中で笑顔が素敵な方でいつも楽しくギターを弾いている姿が光輝いていた
藤岡さんが亡くなったのを知ったのは1月9日
午後19時20分過ぎ
藤岡さん自身のTwitterから奥様が発信
正直信じられなかったし、信じたくなかった
だって広島公演の時元気にギター弾いていたじゃん
ガチャピンのライブで大村さん達と一緒にいたじゃん
メイト主催のライブにゲストとして呼ばれていたじゃん
大村さんのワンマンライブにも呼ばれていたじゃん
冗談にしてはタチが悪すぎるでしょ?
アカウント乗っ取られているの??
乗っ取ってる奴ふざけんなよ
自分以外の方のリプも同じような内容があった
次第にTwitterには藤岡さんの急死を告げる内容が次々と上げられていき自分の中で『本当なの?』と次第に受け入れようとしていた
がそれは無理なことで『これはひょっとして夢なんじゃないか?』と現実逃避をしようとしている自分がいた
BABYMETAL以外のライブでは雑賀泰行さんが定例として行っていた変拍子セッション
そちらに参加している藤岡さんの姿を見に何度か遊びに行かせてもらっていた
初めて行った変拍子セッションの時である
普通にバーカウンターに来てビールを飲みながらお客さんと楽しげに話している藤岡さんの姿がそこにはあった
それを見た僕はこう思った
この人は本当にあのソニスフィアのステージでギターを弾いていた人なのか??
ただの小さなおっちゃんにしか見えない...
あまりにもお客さんとの距離感が近くて思わず思ったことを今でも忘れられない
BABYMETALの時は真剣な表情をするときもあるが、セッションライブでは常にニコニコ笑いながらギターを弾いていた印象しか自分の中にはない

変拍子セッションのメンバーは全員MI JAPANの講師の方々で行われている
だからなのか
曲間の確認の時
藤岡さんのくだらない話が始まることが多々あった
その藤岡さんのくだらない話が始まるとみんな自然と笑顔になっていた

全員でゲラゲラ笑う時間はライブと同じくらいに楽しい時間だった
BABYMETALでの姿しか知らない人にはあまり想像できないかもしれないが、本当に腹を抱えて笑ってしまうような話ばかりだった
時には曲間に真面目な話もする時もあった

変拍子セッションの時にいつも藤岡さんは楽譜を見ながら毎回こう言っていた
えっ?何これ?こんなん難しくてできひんやん笑
その数分後
体をクネクネさせながら笑顔であっさり弾いてしまう藤岡さんの姿を見て毎回心の中で『藤岡さん!弾けてますやん笑』
と誰にも聞こえないつっこみをするのが毎回楽しみだった
変拍子セッションに遊びに行った時
毎回一緒に写真を撮らせていただきました
藤岡さん!写真お願いしてもいいですか?
あっ!いいですよ!
と言ってキツネサインをしてくれる藤岡さん



藤岡さん!肩抱いて写真撮らせてもらってもいいですか?
あっ!いいですよ!ただ背が小さいからな笑
と言って笑いながら応じてくれる藤岡さん


藤岡さん!みんなで写真撮りましょうよ!
おっ!撮りますか!
と言って輪に入ってくれる藤岡さん

時にはサインをお願いしたこともあった
その他にも他では聞けない色々な裏話も聞かせていただいた
もちろんBABYMETALの裏話も聞かせていただきました
その話を聞くたびに僕は思った
こんなにも愛情を持ってメンバーのことを想って弾いてくれているんだ
この人がいてくれて本当によかった
BABYMETALのライブの時
毎回僕はステージに向かってこう叫んでいた
ふっじおっかさーーん!
すると毎回手を振って応えてくれる藤岡さんがいた
藤岡さんに毎回言っていたこと
この前のライブで藤岡さんに向かって叫んだんですけど聞こえていましたか?
あっ!あの時の!バッチリ聞こえていましたよ!声デカイですね笑
藤岡さん!この間のライブ!もう最高でしたよ!
あっ!また叫んだんですけど聞こえていましたか?
あっ!やっぱり!いつもありがとうございます!
毎回ウザいことを聞いてしまい本当にすいませんでした
藤岡さんと僕の関係はギタリストとただのファン
友人でもなければ知人でもない
ましてや兄弟でもない
でも藤岡さんはいつも対等に話してくれた
偉大なギタリストである前に一人の『人』として素晴らしい方だった
ファンのことをちゃんと覚えてくれる藤岡さん
笑顔で楽しそうにギターを弾く藤岡さん
嫌な顔を一切せず写真に応じてくれる藤岡さん
嫌な顔を一切せずサインに応じてくれる藤岡さん
色々な裏話を聞かせてくれる藤岡さん
変拍子セッションの時にくだらない話をして笑わせてくれる藤岡さん
一人部屋でぼーっとしながら藤岡さんとの楽しかった時間を思い出していたら涙が止まらなかった
自分でも信じられないほど号泣をしていた
その時に改めて思った
僕は藤岡幹大とゆう人間のことが大好きだったんだ...と
変拍子セッションがあっても仕事の兼ね合いで行けない時も多々あった
今回行けなくてもまた次の機会でいいか
毎回そう思っていた
だが、今はもう叶わないこと
日々の日常とは当たり前のように見えて実は当たり前ではない
泣きながら僕はこう思った
会いたい人がいるのならなるべく時間を作って会いに行こう
話したい人がいるのなら積極的に話に行こう
一緒にお酒を飲みたい人がいるのならなるべく時間を作り飲みに誘おう
当たり前のようで普段できていないこと
それを実行していこう
と思ったが翌日
仕事をしている時も涙が流れてしまっていた
本当に自分は弱い人間だ
そんな時BOHさんや大村さん
Ledaさんや青山さん
前田さんに雑賀さん
そして横田さん
最後にTOKIさん
次々とブログに藤岡さんとの思い出や出来事
そして今後自分達ができること
想いは違えど誰一人として立ち止まることなく前を向いて進もうとしているのが分かった
ブログを読んでいる時
涙が止まらなかった
笑って生きていこう
そうこの時決めた
永六輔の言葉でこうゆう言葉がある
人は2度死ぬ
一度目は肉体の死
そこから先、まだその人は生きている
死んでも、誰かが自分のことを思ってくれている。
誰かが、自分のことを記憶に残している、時折語ってくれる。
これがある限りは、その人は生きている。
そして、この世界中で、誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなったとき、二度目の死を迎えて人は死ぬ
藤岡さん
僕の心の中で
あなたはずっと輝きながら生きています
短い間でしたが素晴らしい時間をありがとうございました
少しの間
天国でゆっくりと休まれてください
また笑いながら楽しそうにギターを弾く姿を見せてくださいね!
そしてもう一度二人で大笑いしましょう!
